歴史の小箱
(第131号) ~日本一の山~ 富士山と人々 (平成11年4月1日号)
私たちは朝な夕なに富士山を見上げます。
季節により、時刻により、その姿をさまざまに美しく変える山容に、普段はあまり信仰心も無いのに思わず何かを祈りたくなってしまうことがしばしばあります。これは、昔の人々も、気持ちは今と同じだったようです。むしろ、信仰心は、もっと厚かったと言えるでしょう。
昔、富士山を信仰の対象とするところは、駿河・伊豆(静岡県)、甲斐(山梨県)などの富士山に近い地域だけでなく、房総半島(千葉県)や武蔵(東京都)志摩半島(三重県)などの富士山が遥【はる】かに見える遠方の地にも盛んでした。また、その呼び名も富士信仰或いは浅間信仰などと呼ばれ、富士講が組織され、富士山に似せた富士塚を築いたり、何年に一度かは実際に登山(登拝)を行うなどの行事が行われていました。
富士山に対する信仰は原始古代の時代からのことだと言われます。そこには富士大神という女神がいると言われ、後に木花咲耶姫【このはなさくやひめ】と同一であると考えられるようになりました。富士信仰が浅間信仰とも言われるゆえんです。また、富士の女神は、よく知られた民話の「かぐや姫」と同じであるという説もあります。
前置きが長くなりましたが、「引化2年(1845)7月吉日、小中島(現本町)の荻野幸次郎」という奥付のある、富士信仰関係の文書(2点)があります。縦型(縦15.6センチメートル、横6.2センチメートル)の折れ本になっていて、厚さは3センチメートルほど。
表紙をめくると富士山の絵に「登山同行」と墨で記され、上から大きな朱印が押されています。次に「天清浄 地清浄 内外清浄 人清浄 六根清浄 根本清浄」と墨書きされ、やはり朱印で「富士山庚申緑年三十七年度大祭神印」と押してあります。そして「垢離とりて あらいながせば 身も清(し)心も清(し) 富士御手洗」との唱えごとになり、その後は、800万の神々や富士信仰の教えが記されます。
文書は、地元にも江戸時代盛んだった富士・浅間信仰を物語る史料と言えるでしょう。
(広報みしま 平成11年4月1日号掲載記事)
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