(第198号) 平安時代からの伝統儀式 庖丁式 (平成16年11月1日号)

庖丁式
 日本料理の原点は、『日本書紀』によると第十二代景行天皇が東国巡幸のおり、安房(現・千葉県南部)で磐鹿六雁命がカツオとハマグリを膾にして天皇に差し出したことに始まるといわれます。磐鹿六雁命は膳大伴部に任じられ、子孫の高橋氏は大膳職として天皇家の食膳を守っていきました。磐鹿六雁命は、市内松本の高橋神社の祭神となっています。
 平安時代の仁和年間(885年~888年)、光孝天皇は疫病の防止に心を配り、側近の四條山陰中納言藤原政朝に、故事に基づく食物調理の基本として、俎板庖丁捌きの掟を定めるよう命じ、「庖丁式」の作法を完成させました。
 「庖丁式」とは、右手に庖丁刀、左手に俎箸を持ち俎板に置かれた調理の材料に、素手を触れることなく自身の六根清浄を念じ、天下泰平、五穀豊穣を祈り、すべての料理材料の生命に対して捧げる感謝の気持ちを、一刀一礼の作法に則って料理するものです。調理の材料は五魚(鯛・鯉・鱒・鱸・章魚)三鳥(鶴・雉・鴨)が基本で、儀式のテーマによりさまざまな切り方や盛り方があります。
 平安時代の貴族の中から生み出された雅な庖丁式も、武家時代には豪壮な手振りに変わり、また時代の中でいくつかの諸流が興され、今日まで伝承されてきました。
 庖丁式は単に古い儀式であるから尊いとか、あるいは庖丁技術が至難であるために価値があるというものではなく、また見世物や座興的なものではありません。両手に庖丁刀と俎箸を持ち、決して材料に素手をふれることなく取り計らう姿は「食衛生思想」と、無駄な手数を許されない俎板捌きは「食経済合理化」の実践を基にしています。食材に対して、礼に始まり礼に終わる庖丁式は、日本の世界に誇る食礼の儀式です。
(広報みしま 平成16年11月1日号掲載記事)