(第201号) ハレの日の食 赤飯 (平成17年2月1日号)

 箱根西麓から大場川に注ぐ山田川の中流域に滝川神社があります。山田川流域は平安時代末の文書に川原が谷郷として登場し、源頼朝が三嶋大社に寄進した土地でした。滝川神社のすぐ南には箱根山中から湧き出す清らかな滝があり、二十年ほど前までは、三嶋大社の例大祭の前に神官達が、この滝で禊をしたものでした。
 滝川神社の例祭は2月28日朝山田の集落の人々が集まり、祭神瀬織津姫を祭る神事の後、飯器から赤飯が出席者に分けられます。この時、器や箸を用いないで、素手に受けそのまま食します。この素手で食べるという珍しい風習は長く続いているものです。
 赤飯はかつて神社の祭りで必ず出されていたハレの日(祝い事のある特別な日)の食事です。今でも農村地域の神社の祭りでは赤飯をむすびに握り、直会(なおらい)に出したり、参拝者に分けています。食生活が豊かでなかった時代、お祭でわけられる赤飯のむすびを目当てに子供達も集まったものでした。
この他、昔からある山の祭り龍爪講(佐野、小沢、元山中で行う)などでは、直会の食事に赤飯のむすびが出ます。
 赤飯は今でもお祝いの日の食事です。結婚式、誕生祝い、七五三、入学、卒業、成人式、三月や五月のお節句、お彼岸など年中行事や人生儀礼の節目はお赤飯の日でもあります。かつては、蒸篭数杯の赤飯を炊き、直径1メートル近くある赤い祝い櫃に移して調整しました。神棚や仏壇に上げ、家族も一緒にいただきました。また漆塗り二~三段の重箱に赤飯を詰め、お祝いをいただいた家に持参しました。その場で赤飯は家の器に移され、重箱には菓子などを入れて、持参した子供達に返されました。重箱は親戚近所を橋渡しする大切な道具だったのです。今は折詰めに変わっています。
 ところで、なぜお祝いの日には赤飯をいただくのでしょうか。
赤飯はモチ米に小豆を混ぜて蒸かした赤色の飯です。赤色そのものが祝意を示し、また古代から神事に用いられたという赤米の名残ともいわれています。このため祭礼に用いられる赤飯は豊穣感謝を表すといわれます。
(広報みしま 平成17年2月1日号掲載記事)