歴史の小箱
(第127号) ~懐かしい鍛冶屋の道具~ フイゴ (平成10年12月1日号)
昔はどこの村にも必ず一軒くらい鍛冶屋があったものです。「村の鍛冶屋」という唄にもあるように、鍛冶屋からはトンテンカンと槌を振り下ろして刃物を鍛える音が聞こえていました。その音といい、鍛冶屋の力強い仕事ぶりといい、男の子供たちにとってはたいへん興味のあるものでした。学校帰りなど、しばしば寄り道をしてのぞいて帰ったものです。
農家にとって、鍬や鎌はとても大事な道具であり財産でした。鍛冶屋はそれを作り出してくれるところ、また、打ち直して道具の機能を長持ちさせてくれるところとして、農家とは密接な関係にありました。「野鍛冶」と呼ばれますが、それは農鍛冶でもあり、刀鍛冶とは異なり、主に農具の生産と修理を生業としていました。その鍛冶屋にとって、なくてはならない道具と言えばフイゴでした。
古く、フイゴは吹子と書き、吹皮と呼んでいたそうです。金属やガラスを溶解させるために火に空気を送り込む道具です。文字通り、昔は、空気を送り込む役目がいて、皮袋のようなものから人力で空気を送り込んでいたものと考えられます。
江戸時代の正徳2年(1712)の『和漢三才図絵』という辞書には、すでに現在のようなフイゴが記載されていますから、武器や農具に大量の鉄が使用されるようになった中世以後には発明されていたものと思われます。
そのようなフイゴは鍛冶屋に神聖視されていました。11月8日に行われる年に1度の鍛冶職の祭はフイゴ祭と呼ばれ、仕事場には注連縄を張り巡らせ、フイゴを神のように見立て、供え物をして祝いました。また、古くから昔話等に鍛冶屋が登場します。それは鉄のもつ力に民衆が敬意と恐れを抱いていたこと、また鍛冶屋は大きな火の力を利用して鉄の道具を創り出すことなどの理由によるものだと思われます。
現在は、鎌や鍬などの鉄の道具は大量生産の既製品が安価に出回り、町や村からは鍛冶屋も姿を消し、フイゴのような道具も見られなくなってしまいました。
(広報みしま 平成10年12月1日号掲載記事)
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