歴史の小箱
(第120号) ~江戸時代の鎮守の森~ 沢地駒形神社の森林調べ (平成10年5月1日号)
(個人蔵)
里や町が近代化された現在、昔あったはずの森や林が消失し、かつて緑陰の下でくつろいだり、休息した、森林と人の暮らしの関係が希薄になっています。そのような状況下、三島市民はまだ恵まれていると言えるでしょう。市内には大きなくろぐろとした森が二つ。三嶋大社と楽寿園の森があるからです。人をはじめ、あらゆる動植物が生息する環境に大事な自然は、海洋はもちろんのこと、森林が必要条件であることは言うまでもありません。
さて、里、すなわちかつての農村地帯に目を転じたとき、森や林が減少していることに気づかれるでしょう。「昔はあそこにも林があったのだよ」という土地の人の嘆きを何度聞いたことでしょう。
今、農村で、唯一森を残しているのが村ごとにある氏神様の鎮守の木立だと言えます。安永3年(1774)の沢地駒形神社の鎮守の森の木数調べという古文書から、江戸時代の鎮守の森に思いを馳せてみました。文書は同年2月に、豆州沢地村の三役(名主・与頭・百姓代)の治右衛門、源右衛門、七郎左衛門から箱根山大庭庄左衛門に宛てて提出された報告書の形になっています。沢地は古くから箱根権現領。したがって駒形神社に関する報告も箱根権現の役人に提出することが習わしだったのです。内容の氏神の森内にあるすべての樹木について、樹種、樹高、太さ(目通りと思われる)が列記され、最後に樹種別の本数と、太さが尺を超えなかった冬木(雑木であろうか)50本余りを記しています。
樹種で多数を占めるのはスギで77本、次いでマツが10本です。スギ、マツのように建築材として利用価値のある樹木は、神社の改築などの場合を想定して村人が植林したものだろうと考えられます。興味深いのは雑木に類する樹木で、ミズクサ、モチノキ、ムクノキ、ツバキ、ケンプンナシ、コガ、サカキ、コナラ、アテビ、サクラなどです。四季折々の美しい森の景観を作り出した雑木群や、名前も聞いたことのない樹木が村の社を守っていたのでしょう。
(広報みしま 平成10年5月1日号掲載記事)
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