歴史の小箱
(第124号) ~伝統ある奈良の暦~ 南都暦 (平成10年9月1日号)
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これに対して、西日本では「京暦」「泉州暦」「大坂暦」「丹生暦【にうれき】」などのほか、奈良から頒布された「南都暦【なんとれき】」など多数の古い暦がありました。
その中で、西日本で「京暦」に次ぐ伝統を誇るのが「南都暦」でした。別称として、奈良暦、幸徳井暦、南京暦などと呼ばれていましたが、古い陰陽師である加茂家の系統をひく幸徳井家によって奈良で版行されていました。南都暦の『大乗院寺社雑事記【だいじょういんじしゃぞうじき】』という古い文献に、長禄【ちょうろく】元年(1457)に、幸徳井家から興福寺門跡大乗院に新暦を献上したという記載があります。また、元興寺所蔵の仮名版暦は、応永【おうえい】14年(1407)のもので、これもふるい南都暦ではないかと言われています。
いずれの古暦も、三島暦ほどではありませんが、日本の暦の中では数少ない中世の暦ということで注目されています。
これらは、京都から頒布されていた京暦とたまに日付の相違を生じるなど、三島暦に類似する民間暦ということが出来るでしょう。
南都暦の頒布圏は、江戸時代を通じて、大和・伊賀の二国と定められていましたから、発行部数はそれほど多くありませんでした。江戸期の三島暦はたいてい伊豆・相模の二国が頒布圏でしたから、頒布の数も似たようなものだったのかも知れません。
ただし、三島暦と異なる点は、南都暦の暦師はすべて陰陽師であり14家もあったのに対し、三島暦師は「河合家」のみであったことです。
(広報みしま 平成10年9月1日号掲載記事)
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