歴史の小箱
(第123号) ~居場所を失った石像物~ 弁天さん (平成10年8月1日号)
郷土資料館で預かっている 高さ約30センチメートルほどの小型石像、弁天【べんてん】さんは、もともと小浜用水流域に鎮座してたということです。
その理由は、いまから10年以上前のこと、小浜用水の河川工事の際、川底の堆積した泥の中から拾い出されて、郷土資料館まで運ばれてきたからです。しかし、用水沿岸の誰が(どの地区が)、いつ祀【まつ】ったもので、それがどうして川の中に落ち込んでしまったかなどの、詳しい経過はわかっていません。
そこで、民俗宗教としての弁天信仰について述べるとともに、この弁天さんが祀られてきた背景などを推理しながら、紹介したいと思います。
弁天は弁財天【べんざいてん】の略称で、その像容は二臂【ひ】あるいは八臂、白衣をまとい、白蓮華【びゃくれんげ】に座し、琵琶【びわ】を持っています。その姿から、音楽や知恵の神としても信仰され、妙音天、美音天などとも呼ばれ、また、財福神の性格も持っていると言われています。元来はインドの河の神で、水の女神、豊穣【ほうじょう】の女神として信仰されていました。
日本には「金光明最勝王経」により伝来し、やはりインドから伝わった吉祥天や、古来よりあった市杵島姫命【いちきしまひめのみこと】と習合され、技芸の上達を司【つかさど】る神とされたり、水神や漁村の漁神として崇【あが】められました。江戸時代中期になると、聖数とされる七の数に合わせて、恵比寿や大黒天などといっしょに七福神として盛んに信仰されます。弁天信仰が顕著に見られるのは、海や湖の沿岸地域。豊漁や海上安全の神として位置付けられます。安芸の宮島、琵琶湖の竹生島、相模の江ノ島は、日本の三大弁天と呼ばれていますが、いずれも沿岸の神となっています。
さて、冒頭の三島の弁天さんですが、水神の性格から言えば、小浜用水沿岸に祀られていたことはうなづけます。小浜池から湧き出す大事な水で生活していた宿場の人々、それに水田を使っていた千貫樋【せんがんどい】の向こうの駿河の人々。弁天さんはそうした命の水の守り神だったのでしょう。
(広報みしま 平成10年8月1日号掲載記事)
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